ラマダン中のイスラム教の友人宅に訪れて

こんにちは。

moilyのきよみです。

 

先日岐阜に住んでいるバングラデッシュ人の友人ご夫婦のお家に行ってきました。

 

絶賛ラマダン中の彼ら。

今年は5/16-6/14までだそう。

 

簡単に説明すると、ラマダンは日の出から日の入りまでは何も口にしては行けないというイスラム教の習慣。

 

ラマダンは断食だと思っている方が多いようですが、実際は日が出ていない間は食べられます。

 

それでも、日の出ている間は水すら飲んではいけないという過酷な修行です。

 

お邪魔した私に、

「今、味見ができないから(断食中で)、味が変だったらごめんねー」

とチャイを振舞ってくれ、

お昼ご飯までご馳走してくれた友人夫婦。

 

正面に何も食べられない二人が座ってじっと見つめられながら、食事をするのはなんとも言えない空気でした。笑

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そもそもなんで断食を行うのか。

宗教で断食するなんて、「なんて宗教心が強いのか!」とか、「考えられない!」

なんて思う方もいるかもしれません。

 

しかし、友人たちのラマダンの説明を聞いて色々と納得することがあったのでご紹介。

 

日が出ている間は、何も食べない。

そのように決められていても隠れて食べることはいくらでもできます。

家では誰かに見張られているわけでもないですし、食べたところでバレることはありません。だけど、それでもなぜ食べないのか。

それは人間の三大欲求である食欲を自分を制することで、自分自身のコントロール力が身につけているというのです。

つまりは自分をコントロールするための修行ということ。この時期禁煙に励む方もいるそうです。

 

また、そのほかにも、普段は不自由なくご飯を食べれているが、1ヶ月だけは食に不自由な思いをして、ご飯のありがたみを知り、貧しくて十分に食べることができない方の気持ちを知る。という意味もあるとか。

 

そのほかにもたくさんたくさん意味はあるそうで、

「断食をするってことしか知られていないのは残念だよ。」

といっていた友人。

 

単純に宗教の決まりに従っているのではなく、

自分の心、精神と向かい合い修行をし、人の心をわかる大切な期間みたい。

 

私はよく講演で話すのですが、世界を回っていた時、断トツで優しかったのがイスラム教の国でした。その優しさの根っこは「困っている人を必ず助ける」というイスラム教からきているんだな。と深く感じました。

そんな優しい人たちが一部の人たちの責任で「怖い宗教」と勘違いされるのはとっても悲しいので、なるべくこのことをお話しするようにしています。

 

今回ラマダンについて伺って、やっぱり彼らの宗教心からくる優しさはこのような習慣からきているんだなーと再確認。

 

このブログで、少しでも偏見がなくなるきっかけになったらいいなぁ。